楽しい方に舵を。

甲子園球児→慶応→ニート→? 

いいことずくめ?街ランの勧め!

運動不足の現代人へ。

 

おすすめの運動を。

 

自分、大田区(大森)に住んでたんですけど、

5年間、地理について何もわからなかった。

でもともとランニングするにしても、ジム派だったけど、

金欠過ぎたから、回りを走ろうと思って、走る。でも、どこ走ればいいかわからんし、都会で走るって抵抗ある。

だから、色々なところを走りまくった。

したら、こんなとこあったんや的な場所をたくさん発見した。

5年間もいても近くにある場所すらわからん。

本間に発見。

 

 

長澤まさみもA-studioで言ってた。

電車が好きになったと。車を使った家と目的地のdoor to doorの生活よりも、電車使ったら、知らなかった新しい何かを知れたりするから。的なことを。

ふいに訪れる何かは訪れない。

 

 

是非ともお薦めしたい運動(スポーツ)が、

 

それは名付けて

『街ラン』


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これやりはじめたら、マジで楽しいです。

 

昔地元にいたときは結構走ってたんすけど、

東京出てきてから一切走らなくなるじゃないですか??

 

東京を走ったことある人あんまいないと思うんすけど、

 

都内だったらわりと小旅行みたいな感じになります。

散歩ではなく、散走。

きつくなったら、歩けばいい。

ここいったらどうなるやろ、とか

こっち曲がってみるか、とか

逐一湧き出てくる好奇心に従って、走る。

そうやってランニングコースとかを作るし。

 

都内だったら人がいるから(自分は人がいる方がわりと好き)

 

え、っていう出会い

街を走らないと気づかないことがいっぱいありましたww

 

僕の根本は、走ることなんで。

スポ根か知らないすけど、日本人だったら鬼走るじゃないですか、部活でアホみたいに。

自分はそうやって育って、結局スポ根魂で、ここまできたのに、

謎に大人になると、走ることを辞めるんすけど、結局

クールに気取って要領よく

じゃないじゃないすか、

走ること、じゃないすか?

 

そこで培ったもので、なんとかここまできてる。

それを忘れて、クールに気取って要領よくスマートに。それはちゃうでしょ、っていうww

 

 

 

 

仕事って何?


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大学一年の夏に、ガソリンスタンドのアルバイトを始めた。それが初めてのお金稼ぎだった。

 

トラックステーションとも呼ばれるような、割と大きく繁盛しているスタンド。身体も動かすし、結構部活をやっている感覚に近い。

 

もちろん野球より面白さはない分、めんどくさいけど、楽なのは楽だなと。

それでいて、お金が発生する。すげぇなと。

 

疲労度もそこまで。部活のときの方がえげつなかった。だとすると、部活を時給換算したら、とんでもなく稼いでいたなと。

 

そこから思考が始まる。

そもそも何で部活だとお金もらえなくて、アルバイトだとお金もらえるのか。と。

いや、そんなん当たり前やん!となるっちゃなるけど、疑問を持とうと思えば持てる。

 

やっている感覚としては似ていることは多い。

 

何時に集合して、言われたことやって、いい時間になったら終わる。一緒やん!

 

そんなことを働きながら考えていたが、

 その当時はそこに明確な答えをぼやっとさせたもままだった。

でも今なら即答できる。

 

その違いは簡単で、 

人の役に立つことにつながる仕組みがそこにあるかないか。

 

 

部活でもアルバイトでも「言われたことをやる」に違いはない。

その違いは、

アルバイトの場合は、その言われたことが、人の役に立つ(お金になる)ような仕組みの中にある。だから、そこを全うするだけで、お金がもらえる。

 

一方、部活はその仕組みがない。

自分達のことでいえば、甲子園の出場するという目標を達成するための仕組みであって、

人の役に立つ仕組みではない。 

だからその仕組み内で一生懸命やっても人の役に立たないし、お金にもならない。そこでの行動はすべて夏の甲子園につながる。

 

だから、

人の役に立つことにつながる仕組み

 

要は、人の役に立つかというのがポイント。

そこが、仕事と、その他の活動を分ける境目。

てなると、

仕事とは、人の役に立つこと。

つまり、

仕事とは、どっかの会社に入って、決められたことをやって、給料を頂くという、ふつうに考えられているものより大きい。

 

なぜ、アルバイト

 

てなると、

 

 

 

そういう仕組みさえ作っておけば、何をしていても、お金は手に入る。

 

要は、人の役に立ち、その価値に対して、お金を支払うという仕組みを構築できれば、その仕組み内での行動はお金になる。

 

仕事とは、人の役に立つかどうかということ。

自分が納得。

ということで、それでは!

 

製氷器(ほぼ日風)


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半年前から、料理をはじめた。
そんなこんなでずっと続いているのだけと、料理をし続けていると、冷蔵庫には製氷器があることに気づく。(遅い!)
そこから、せっかく稼働しているなら、使わないともったいないと思うようになり、気づいたときにはなるべく水を入れておき、氷を作るようになった。
そんなわけで、
コーヒーに氷を入れて、それを片手に最後の経済のテスト勉強をしている。

そんな状況下で思ったことは、脳ミソも製氷器に似ているなということだ。
とりあえず「情報・知識」を入れておけば
脳が意識しようがしまいが勝手に整理をはじめる。
でも何も入れなければ何も起こらない。
せっかく稼働しているんだから、

水を入れておけば、氷が勝手にできるんだから、
なんかそんな考え方をすると急にもったいないと思い始め、とりあえず情報・知識をぶちこもうと思うようになった。

今だったらいくらでもスマホからどこでも簡単に情報とれるし、工夫次第でなんだってできる。
といっても、その行為は、製氷器の水を入れる動作より、ちょっとばかしキツい。
でも、いやだからこそ、出来上がる氷は、脳ミソの方が断然に面白い。

 

文章を読んでくれてありがとうございます。この文章も氷です。

一ヶ月で人は変わる。


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人間の環境適応能力はすごい。

 

 

 

 

もう二年前くらいになるのか?

 

怠惰な生活からおさらばしたい、自分を変えたいと思い、

ランニングを始めた。

 

正直、一日目は

めっちゃキツかった。

身体も筋肉痛になった。

 

でも続けることを決めていたので、やり続けた。

 

一週間後、

もちろん初日より楽になってきたし、

何より、やらないと罪悪感絶対出るなーってなった。

これ、走らんかったら自己嫌悪陥るやつやんw

走ろwってな感じで 

何かが変わると信じ続けた

 

 

一ヶ月後、

あとから気づいたけど、

いつの間にか、

走るのが楽しみになっていたww

 

 

2年(?)たった 今でも

ずっとやっているランニング。

最初はこんなもんやったな

 

 

 

以上、結論

一番最初が一番きついけど、

一週間続ければ、慣れたり、罪悪感が生まれるようになって、

一ヶ月もすれば、きつかったことが、むしろやりたくなるくらいになる。

 

 だから、、

 

今、

「おれには無理やん」とか

「しんどすぎ、絶対できんわ」とか

「こんなんなれんわw」

と思ってること全部

「くそ楽しい」

「まじ楽しい」

「やらんと気がすまんわ」

くらいになってる可能性が

一ヶ月後にはあるということ

 

 

 

しんどいときに忘れがちな、自分身体を通して感じたこの理論。

ふいに思い出して元気もらえる。

書き記す価値しかない。

 

 

 

 

 

 

 

《雑記》日曜日みたいな文章

3ヶ月前くらいの出来事。心暖まりすぎたからメモを思わず。それが残っていたので日曜日的文体で文章化してみた。

 

 

 

 背中のトレーニングの日だったので、最近見つけた懸垂ができる鉄棒がある公園(?)で、いつも通り筋トレをしようとした日のこと。


 まぁまぁ人の目につく場所ということもあって、変な人に見られるだろうなということを自覚しつつ、気にせずやるかと心で唱え、懸垂をはじめた。

 3セット中の2セットまでを終え、近寄りがたい雰囲気を醸し出すためもあり、我慢することなくゼェハァいいながら休憩していたら、外国人の親子(二人の娘とそのパパ)が近づいてきた。
 おれが鉄棒にぶら下がって懸垂している所を見たんだと思う。

 7.8歳くらいの女の子が、おれが使っていた鉄棒のすぐ隣の小さい鉄棒まで走ってきて、ぶら下がってキャッキャ言っている。

 そしてパパを呼び始めた。パパは冷静に変な人(おれ)がいるためか、少し遠くで携帯をいじっていた。自意識過剰?


 ここにいることが少し気まずくなり、家族の団らんを邪魔してはいけねぇわと思いつつも、3セット目は譲れなかった。(謎の筋トレ魂!)

 女の子は隣にいるが、ささっと終わらせて帰ろうと、少し勇気を出して隣の鉄棒で懸垂をはじめた。
 急いで筋トレしている最中、その親子が鉄棒付近にいつのまにか集まっていて、何か英語で言いはじめていた。

 懸垂を終えると、パパが「お兄さんすごいねぇ」とカタコト日本語で、たぶん、娘とおれ両方に向かって言っていた。

 そういう状況にさすがにいてもたってもいられない。とりあえず少し微笑みを返して、ささっと立ち去ろうと、ベンチに置いていた荷物を手にとった。でもニヤニヤしながら無言で立ち去るのもなんだと瞬間的に思ってしまい、少しだけ勇気を出して「バイバーイ」と手を降りながら言ってしまった。


 したらよ。

 

 その女の子二人とパパと目を見て、屈託ない笑顔で「バイバーイ」と返してくれた。

 

なんだこれ。最高。

 

帰りながらニヤニヤがとまらなかった。(ほんとにちょっとにやついていたと思う。)
 言ってみるもんやなあと。勇気出してみるもんや。ブスついた顔で筋トレをしていたであろう時間を、心地よいものにしてくれた家族との出会い。

いやぁ。とりあえず乾杯やなぁ。


 

ボディメイク

 


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自慢になってしまうけど

自分は逆三角のボディをしている。

 

筋トレも食事もちゃんとやっているからだ。

 

でも、そんなんより

欲しいボディがある。

 

それは

逆三角形のカッコいい行動体型。

つまり

情報取得より行動の量が継続的に多い人。

カッコつけていってるだけで、普通にいってしまえば、

行動力半端ない人。

 

最近思う。

情報と行動のバランスについて。

そして、情報取得の時間(考える時間)が多くなればなるほど、

行動が億劫になるというか。

確かに情報取得の時間は大事。

そもそも行動するための情報取得であるはずなのに、

不安を消したり、失敗したくないからもうちょい準備しようとしたり、

行動はリスクあるし一見めんどくさいし失敗するかもしらないし、ってな感じで。みんなしたくない。

だから

こんなふうに見立てる。

情報は少しはいいけど、摂りすぎると体脂肪になって動けなくなる。情報デブになっていく。というか、基本情報ばっか。行動しないただのデブ。

行動すればするほど、筋肉がつく。だからより行動できる。体脂肪も落ちていく。

ただ行動も継続しないと、情報が多くなってデブになっていく。

 

 

理想の行動体型の

行動と情報のバランスは8.2か7.3

いずれにせよ行動の方が多くないと。

 

現にこの世界には

逆三角形の行動体型は多くいる。見てればわかる。そういう人はカッコいい。すげぇなって。

 

筋トレして逆三角のカッコいい身体つくるより、

行動しまくって逆三角のくそカッコいい身体。

 

目指します。

 

ブログを書こうと思う。


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ブログを書こうと思う。

 

ブログの書き方には色々あると思うけど、大概

「ビジネスを目的にした相手に価値を与えようとするスタイル」

「主に自分自身のために書くスタイル」。

 

もちろんこの二つの両極に分かれ、その度合いで、どっちも混ざったりしたりもする。

 

結局どうなるかはわからんが、

とりあえず自分自身のために、書く。

 

きっかけは色々ある。雑に列挙する。

 

○与える側になりたい。

自分は人が好きで、色々YouTubeFacebookTwitterからブログまで、気になる人ができたらひたすら追っかけをするという習性がある。

そこで、めちゃくちゃ元気もらったりしたし、楽しんでるし、救われてるし、パワーもらってる。

そういう人みたいになりたい。発信側に回って、逆に自分がそういう人側に回って、おれみたいなやつに元気与えたり、パワー与えたりしたい。

 

○自分自身の思考の整理として。

「与える側になりたい。」

カッコつけてるが、そうはいいつつも、何かを発信することは結局自分のためになる。

書く中で、アウトプットする中で、

思考は整理される。

というより書くことを通じて、思考がようやく始まるし、完結する。

だから、そうはいいつつも自分のため。

 

そもそも自分は大学入って以降、考えるという行為をけっこうしてきたし、メモやノートが掃き溜めのように貯まっている。

隠すほどのものでもないけど、潜めておくくらいなら、外に出しちゃおう。

 

 

○漠然としたこれからのために。

ブログとかSNSは可能性しかない。

10年後、いきなり偶然会った人に、例えば名刺を渡して、blogのURLを書いておくだけで、

自分がどういう人間かわかってもらえる可能性があるのは凄いと思う。

1時間しか会っていないのに、まるで10年の出来事、考え方を知ってもらえるかもしれない。

blogがなければ信頼なんて得られやしないのに、もしかしたら得られる可能性もなくはない。

個の時代に向かっていっているといわれる昨今。そして、わりと個の力でどうにかしていかないといけない自分の現状。

やらない理由はないんでやんの?

 

今までだったら、適当な理由をつけて、やらなかったり延期してたりしてたけど。

とりあえず見切り発車でやってみる精神が今の自分には足りないと思うから。

「とりあえずやってみる」

それを今体現してる。

 

コンセプト、理念、軸、夢、野望、物語、ストーリー、why、理由、志、大義

そういったものに人は動かされる。

動かされるというよりか、

そういうのがある人に「ん?」って引っ掛かるし、んで話聞いてるうちに面白いなってなるし、でもっと知りたくなって、付いていこっかなってなるんだと思う。

 

それは自分自身の体験からもそう思う。

 

結局人に動いてもらうためには、おれがどういう生き方をしてきて、どういう人間で、どういうことを考えているのか。

 

人が好きっていったけども、その人がどんなことを経験してきて、こういうこと考えていて、こういうことをやってるみたいな、よくわからんけどその個人の独立性みたいなところが、おもろいと思う。

そして、心惹かれる。

自分が語れなければ、自分を好きになってもらえないし、自分を応援してもらえないし、自分を面白いと思ってもらえないし、友達になりたい、仲間になりたい、そういうことになれないし。

おれはこれから、自分個人の力を高める必要がある。

いきなり会った人にも、自分のことが、自分がどんなことを考えて生きてきたのかとか、この人は信頼できる、と思ってもらえる一つのツールとしてのblog。

むしろ、こういうことわかってもらえると、めちゃくちゃ自分としても助かるし、

そういうのやってかないと。何をするにしても役に立つことやと思うし、何より気持ちも乗ってるし、それが何か大きなものに繋がると信じ、とりあえずやることが大事。

 

まじ適当やけど、これでええわとりあえず。